人猫族の娘(第百二十三話)

 出航から十日余り、船は魔導士の乗船によって安定して航海できたようだ。ミオンの姿は相変わらずムーア隊長達の前には現れない。
「あいつは一体何しているんだ」心配といらだちの混じった声でムーア隊長が呟いた。
 ポルカは魔導士の侍女という役割を物珍しく、楽しそうに果たしていた。人間の王国に居たときも、大陸に渡ってからも仲間から強大な魔力を持つ魔法使いとして畏怖や畏敬の眼差しで見られていた(ミオンは除く)。ポルカは今、一人で甲板に出て。誰もいないのを見定めて、こっそり風魔法を使った。これで暫くムーア隊長が下手な芝居をして風を送らなくても済むはずだ。船室に帰ろうとすると、人相の悪い船員数名に囲まれた。
「へへへ……お嬢ちゃんは魔道士様のお世話をしている女の子だろ」嫌らしい笑みを浮かべる男達。
「手が空いているなら今度は俺たちの相手をしてくれよ」そう言うと男の一人が手を伸ばし、ポルカの白く細い手を掴む。
「は、離して」男の狼藉にポルカが白い頬を染めてかすれた声で言う。魔法を使えば簡単に退けられるが、自分が魔法使いだと知られてはいけない。必死の抵抗も空しく、物陰に連れ込まれそうになった時、ガツンという鈍い音がした。
「ぐわっ!」ポルカを引きずっていた男がくぐもった悲鳴をあげて倒れる。傍らに索具に使われる古い金具が転がっていた。
「誰だ!」男の仲間が周りを見回す。
「お前達、私の側使いに何をしているのだ」怒りの籠もった低い声が甲板に響く。
 ムーア隊長が水夫達を睨み付けていた。傍らに立つ護衛騎士のアザミがポルカを抱きかかえて助け出す。ムーア隊長が怒った顔で手に持った魔導士の杖でトンと甲板を突く。
「貴様らは海の漢なのだろう。どうだ私の魔法で魚になって冷たい海の中で残りの生涯を生きてみるか」ムーア隊長が低い声で脅すように言う。
「お、お許しを!」「申し訳ありません」怯えた顔で水夫達が謝罪の言葉を口々に叫びながら昏倒した仲間を抱え船員専用の船室に逃げ込んでいく。
「きちんとした船だと思って居たが、あんな連中もいるんだな…」呆れたように呟くムーア隊長。それから振り返り、辺りに人が居なくなったのを確認した後、ポルカに小さな声で言う。
「…お怪我はありませんか、申し訳ありません穏やかな航海が続いて油断していました」
「大丈夫、ミオンが見ていてくれた」ポルカが甲板に転がっている索具の部品を指差す。「それでも、お一人で甲板には出られませぬように。夜は特にご注意ください」
 黙って頷くポルカ。そのままムーア隊長と共に客室に入る。一人アザミが残った。
「ミオンさん、そちらに居るのでしょうミオンさん……」アザミが巨大なメインマストを見上げて囁くように言う。
「静かに!私の存在がばれると不味いことになるわ」いつの間にか忍び装束のミオンがアザミの背後に立っていた。
「えっ、いつの間に……やっぱりミオンさんにはかないませんね」ため息をつくアザミ。
「航海は順調だけど油断しないでね、水夫の中にはさっきのような質の悪い人間もいるから。船客の中にも色々曰くありげな連中もいるわ」
「ところでミオンさん、大陸に渡った時も今回も……ミオンさんは船賃を払って船に乗った事があるんですか?」真面目な顔で問い詰めるアザミ。
「何を言うかと思えば人聞きの悪い、私だって船賃ぐらい…………払ったことがあるような……うんきっとあるわ」目を泳がせるミオン。呆れてため息をつくアザミ。
「ハア…ミオンさんなら大丈夫なんでしょうが、たまには船賃を払って船に乗った方がよいですよ」
「うん、帰りの便はちゃんとお金を払うよ」そう言うと闇に消えるミオン。

 人猫族の娘(第百十四話)に続く。 過去作品はトップページ